『粟生』という名称は、「粟生弥七郎」という人物が、湯口村と北尾村の2村を一つにして「粟生村」と名付けたことが由来とされている。古くは正保年間(1645年~1648年)の「高辻帳」(江戸時代、各村の石高を書き記した帳簿)に粟生村の記載が見られることから粟生の由来をうかがい知る事ができる。江戸時代には、北国街道の宿場町として栄え大変活気がありました。
粟生町の北部を流れる県内最大の河川である『手取川』は、暴れ川としても知られ、幾度となく洪水・氾濫を繰り返してきました。特に、昭和9年災害は、手取川最大の災害としていられています。粟生町を含めて流域の地域には甚大な被害をもたらしました。しかし、手取川ダムの建設により穏やかな流れとなり、現在では、流域の田畑に息吹をもたらし、企業の工業用水としても活用されています。
粟生町の世帯数は現在約600戸。この10年で約200戸増加しました。近年、宅地造成化が進み、町外からたくさんの方が転入されてきました。町の総世帯数が増える事は人の往来が増え、町に活気が出て、大変嬉しいことでありますが、反面、新しい住宅地の方々との交流がいまいちと言う感じです。一つの町内でバーベキュー大会を開催しても新しく町に来られた方々の参加がちょっと少ないです。このように新旧地域ゾーン、年代間の違いを如何にして融合してもらえるのかという事が気になる点であり、これからの宿題であると思います。
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